2000円札誰が作った?出来た理由の2つの説を紹介【都市伝説!?】

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時事問題

2024年を目処に新紙幣の発行が20年ぶりに行われることになりましたね。

変わるのは1万円、5千円、千円の3つだけ。

そう2000円札は新しく変わることはないのです。

そもそも忘れられがちな2000円札ですが、一体こんな誰も使っていないお札誰が作ったのか気になりますよね。(絶対失敗作って言われちゃうもんね)

このことを調べていたら2000円札が出来た理由もいくつか説があることが分かったんです。

実は2000円札が出来た理由には深い意味があったかもしれない。

ちょっと都市伝説的な説もあるのですが、私は妙に納得しそうな説もあったのであなたにもご紹介したいと思います。

2000円札は誰が作った?実はあの「平成おじさん」

2000円札は沖縄サミットと西暦2000年がきっかけで生まれたお札です。

発案したのは当時の総理大臣だった小渕恵三さん、1999年のことです。

小渕元総理と言えば前回の改元の時に「平成」の額縁をもち発表した、いわゆる「平成おじさん」その人です。(平成の改元の時は官房長官)

今思えば沖縄サミットの開催に関しては小渕さんには並々ならぬ意気込みがあったように感じます。

東京や大阪などの都市ではなくはじめての地方でのサミットでしたし。

それだけ「サミットを沖縄で行う」と決断した小渕元総理は、凡人と言われながらもやる時はやる人だったと今でも思いますね。

しかし小渕さんは沖縄サミットに出席することは出来ませんでした。(なくなったため)

小沢さんとの会談後の囲み取材で、何もしゃべれなかったあの空を見つめる小渕さんを今でも覚えてます。

2000円札が出来た理由にはいくつか説がある【都市伝説】

2000円札は沖縄サミットや西暦2000年の「記念」紙幣ではありません。

1万円札などと同じように普通のお札です。

つまり単なる記念のために作られたお札ではないと言うことです。

この2000円札が出来た理由にはいくつかの説があるんです。

今回はそれらをご紹介しますね。

沖縄は日本の領土であると世界に知らせるため説

2000円札の図柄を見ると、表面には沖縄の守礼門が、裏面には源氏物語絵巻の挿絵と「鈴虫の巻」の序文がデザインされています。

そう、2000円札は他のお札と違って人物の肖像画ではないんですね。

記念紙幣でもないのになぜ他のお札のように人物にせず、守礼門にしたのでしょうか?

これは守礼門を日本の紙幣の図柄にすることによって、「沖縄は日本の領土である」と世界に示すためだという説があります。

中国はことあるごとに沖縄を中国の領土だと示唆するような論調や主張をしているのは事実で、それに対してしっかり日本としての意思表示をするために小渕元総理はサミットを沖縄で開催することを決め、2000円札の発行を決めたとか。

それと関係があるのか、沖縄サミットには中国は出席していません。

逆に中国への服従を表す説


守礼門という名前の通り、「礼節を守る」という意味があります。

また「儒教」の礼で琉球王国と清国(当時の中国)との深い関係があるということもいわれています。

琉球王国が当時の中国と盛んに貿易を行っていたことは事実で、門のデザインからも中国の影響を受けていることが分かります。
(実際は日本の神社の建物の様式も混じっているそうです)

しかしその貿易は対等ではなく、中国側からしてみれば属国扱いだったそうです。

そして中国からの使者が来るときには守礼門に「守礼の邦」という扁額を掲げ、中国に失礼なことはしませんというメッセージをかけていた歴史があるそうです。

そのため守礼門を2000円札の図柄にすることで、中国への服従を表しているという説を唱える人も一部ではいます。

今回のまとめ

  • 2000円札を発案したのは「平成おじさん」こと小渕恵三元総理
  • 2000円札が出来た理由は諸説ある
  • 個人的には小渕さんは沖縄に熱い思いを持っていたと思う
    (沖縄は日本領土と示す説を信じたい)

小渕元総理には「沖縄に強い思いを寄せた最後のリーダー」という評価もあり、個人的には2000円札を作ったの理由が中国への服従説というのは無いと思っています。

まぁ、かなり贔屓目に見ているところはあるかもしれませんが、小渕さんがあんなに早く亡くなったのは子供心に見ていてとてもショックでしたね。

凡人と揶揄されてましたが、実際は決断すべきところはする人だったと今でも思っています。

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