相方の山里さんと和解して最近は仲良く仕事をしている南海キャンディーズのしずちゃん。
一時期は本気でボクシングに打ち込み、その横にはいつもトレーナーである梅津正彦さんがいました。
その梅津さんがお亡くなりになって2019年で早4年。
梅津正彦さんの経歴やしずちゃんとの出会いのきっかけ、病気になっても最後まで戦っていたことについてまとめたいと思います。
もくじ
梅津正彦の経歴プロフィールまとめ
俺の文化系ブレーンのトップは川勝正幸さん、武闘派ブレーンのトップはボクシングトレーナーでアクション監督の梅津正彦さんだった。立て続けに二人とも亡くなって、両腕もがれた気持ちだった。
改めて追悼。そして前に進む。 pic.twitter.com/Xz54iRdX7f— 大塚恭司 (@maqUXA9GzDXQdAe) August 15, 2019
【右側が梅津正彦さん】
- 名前:梅津正彦(うめつ・まさひこ)
- 生年月日:1968年12月13日
- 没年:2013年7月23日
- 享年:44
- 出身地:山形県酒田市
- 職業:ボクシングトレーナー、アクション指導者
梅津正彦さんは高校生のころにボクシングを始め、オリンピックに出場することを目標にトレーニングを積んでいたそうです。
しかしケガをしてしまいご自身はボクシングでオリンピックに行く夢は絶たれてしまったのです。
ボクシング引退後は映画監督を目指して松竹シナリオ研究所に入所、助監督をしたりもしました。
また自分はボクシングができなくなってもその経験を活かしてアクション指導者としても活躍。
あの実写版「あしたのジョー」ではショー役の山下智久さんや力石徹役の伊勢谷友介さんのボクシング指導もしました。
もちろん世界レベルのボクサーも多数輩出している実力のあるトレーナーさんです。
でも梅津正彦さんが一躍有名になったのはあのお笑いコンビ「南海キャンディーズ」のしずちゃんが本気でボクシングを始めたことでしたよね。
しずちゃん(南海キャンディーズ)との出会いのきっかけ
梅津正彦さんがしずちゃんと出会ったのは2008年のことでした。
しずちゃんが主演した「乙女のパンチ」というボクシングを題材にしたドラマでボクシング指導をしていたことがきっかけです。
実はしずちゃんがボクシングをやりたいと言い出したわけではなく、梅津さんがしずちゃんの身体能力や才能を見てボクサーにならないかと誘ったんです。
梅津さんは指導中にしずちゃんのパンチが入ってしまい翌日まで首が痛くなったことから、下半身のキレがプロの選手と比べてもスゴイということで惚れ込んでのことでした。
当時南海キャンディーズはブレイクしたものの、しずちゃんが山里さんを共演NGにするほどの不仲コンビで有名ですよね。
しずちゃんも2006年に蒼井優さん主演のフラガールで女優デビューしてましたし、お笑いから少し遠ざかっていました。
2008年には3年ぶりにM-1に出れたのですが準決勝敗退、2009年は決勝まで行っても8位とコンビでの活動が暗雲立ち込めていた時だったように思います。
そんな影響もあって梅津正彦さんの言葉がしずちゃんの心に深く届いたのかもしれませんね。
梅津正彦と山崎静代のボクシング歴と戦績まとめ
- しずちゃんボクササイズを始める
(ロバートの山本さんに誘われたことがきっかけ) - 2008年にドラマで梅津さんに出会い本格的にボクシングに打ち込み始める
- 2009年2月:C級ライセンスを取得
- 2011年5月:JOCの女子ボクシング強化選考選手に選ばれる
- 2012年5月:「ロンドン五輪予選兼2012年世界女子ボクシング選手権大会」の日本代表に選ばれる
この世界選手権でアジア勢で最上位ならば大陸出場枠により五輪内定でしたが、惜しくも敗退。
ひとつ割り当てられていたアジア推薦にも選ばれず、しずちゃんはロンドン五輪代表にはなれませんでした。
【戦績】
- 第1回タイペイカップトーナメント(2011年/初出場大会):初戦敗退(ヘビー級)
- 全日本女子選手権(2012年/ロンドン五輪予選日本代表派遣選手選考会):優勝(ミドル級)
- 世界女子ボクシング選手権大会(2012年/ロンドン五輪予選):3回戦敗退
しずちゃんが梅津さんと本格的にボクシングを始めてからオリンピック選考に挑むまで3年ちょっと。
いくら女子ボクシングの人口が少ないからと言っても特殊な競技ですし(怖いし)、並大抵の努力ではできなかったことだと思います。
本当にすごいと思います。
後にしずちゃんは梅津さんのことを鬼トレーナーとも言ってますし、「梅津さんがいないとホッとした」というくらい指導も厳しかったそうです。
しかし本当に細かく熱心に指導してくれて心の支えになっていたのは梅津さんと言います。
まさに梅津さんと山崎静代さんの二人三脚で夢をつかみにいったかけがえのない時間だったんだろうなと感じます。
梅津正彦さんの病気について|死因はメラノーマだった
梅津正彦さんはしずちゃんのトレーナーとしてロンドン五輪を目指していた最中の2012年に病気が発覚します。
その病気とは「メラノーマ」でした。
メラノーマとは悪性腫瘍の一種で皮膚にできるガンです。
よくホクロやシミと間違えられてしまうことがあるそうですが、原因はいまだに分からないそうです。
皮膚にできるメラノーマは紫外線との関連が深いとは言われていますね。
メラノーマは足の裏に多いそうですが、全身にできる可能性はあります。
梅津正彦さんの場合は太ももにメラノーマが発見されました。
- 2012年1月:メラノーマの疑いが発覚
- 2012年1~2月:メラノーマの切除をするもすでにガンが肺に転移していることが分かる
- 余命1年の宣告
- 2013年7月23日:44歳で永眠
梅津さんはメラノーマが分かってからわずか1年ちょっとで亡くなってしまいました。
発見されたときにすでに進行していたのか、進行がとても速かったのかは定かではありませんが、ご本人も周りの人たちもかなりのショックだっただろうということは容易に想像がつきます。
梅津正彦さんはしずちゃんのために手術を遅らせていた
当時梅津正彦さんにはお嫁さんもお子さんもいました。
お嫁さんの敦子さんによると、余命宣告を受けた正彦さんは手術を遅らせたいと言ってきたそうです。
理由を尋ねると「しずちゃんが出場する予定の日本選手権に出たいから」だったそうです。
2012年はまさにロンドン五輪を目前にしていたところでした。でも普通だったらそれどころじゃない、早く手術をしてほしいと奥さんなら言うはずですよね。
でも敦子さんは手術を遅らせることを了承したそうです。
正彦さんの夢がオリンピックで、しずちゃんとの二人三脚でそれが叶うかもしれないということ、それが正彦さんの何よりの力になると思ったのでしょう。
私だったらそうできるか分からないです。夫や家族が亡くなるかもしれない時にも好きなようにさせてあげられるだろうかと考えてしまいましたね。
梅津正彦さんはしずちゃんと共に自分の夢も最後まで追いかけていたんですね。
今回のまとめ
- 梅津正彦さんは高校からボクシングを始めて五輪を目指したがケガで断念していた
- ボクシングの経験を活かしてアクション指導をしていたことでしずちゃんに出会った
- しずちゃんとの出会いは「乙女のパンチ」というドラマ
- しずちゃんのパンチをもらって身体能力と才能に惚れ込んで、梅津さんが本気のボクシングに誘った
私はしずちゃんの方からきっかけでオリンピックを目指し始めたと思っていたので、梅津さんからのプッシュがあったと聞いてちょっと意外でした。
でも後にしずちゃんも「ボクシングは命をかけてやっていた」と言ってますし、ボクシングのおかげで山ちゃんの気持ちも理解できたと言っています。
梅津さんがしずちゃんの人生を変え、しずちゃんが梅津さんの夢になったんだと思います。
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